
MESSAGE
写真は機材の話じゃない。何を使ったかより・・・
どこに立って、何を見て、 どんな温度でシャッターを切ったか。
このページには、 USHUNが写真を撮るときに ずっと大事にしてきた考え方をまとめています。
カメラは最新じゃなくていい
10年くらい前。 今使っているカメラを買ったばかりの頃の話。
特に目的もなく、 ただ街を歩いて、 引っかかったものを片っ端から撮っていた。
上手く撮ろうとか、 作品にしようとか、 そんなことは正直どうでもよかった。
ただ、シャッターを切りたかった。
熱のある写真に出会った日
その当時、今ほどではないけど街には多くの外国人観光客がいた。
特に多かったのは、インドやネパール系の人たち。 それとヨーロッパから来た人たち。
みんな、カメラを首からぶら下げて歩いていた。
ある時ふと気づいた。
あれ? この人たちのカメラ、全然新しくない。
フィルムカメラだったり、 2〜3世代前のデジタルカメラだったり。
当時の自分からすると、 正直「それで撮るんだ?」と思うような機材。
でも—— 写真が、すごくよかった。
上手いとか、テクニックの話じゃない。
熱があった。
間が語るもの
立ち止まる場所。 シャッターを切るまでの“間”。 ファインダーを覗く時間。
「あ、この人、今これを撮りたいんだな」
それが動きだけで分かった。
その瞬間、 僕の中で何かがひっくり返った。
カメラって、最新じゃなくていい。 むしろ関係ない。
そう思えた。
表現は機材から始まらない
日本人は、 (写真に限らずだけど) 「表現=機材を揃える」方向に行きがちだと思う。
ライトを買って、 レンズを買って、 正解っぽい装備を揃える。
安心はする。 でも、そのぶん思考は止まりやすい。
一方で、彼らは違った。
外国人フォトグラファーは、 撮りたい世界を先に決める。
そのために、 身の回りにあるものを使う。
窓から差し込む光。 路上の反射。 ビニール、布、紙、ガラス。 汚れた壁、割れた床、影。
要するに、DIY。
「足りないから買う」じゃなく、 「あるもので、どうやるか」。
ここは、今でも一番大事にしている部分だ。
写真と音楽はよく似ている
例えば、 フェンダー風の安いギターで あるギタリストがライブをしたとする。
観客は、 「安いギターだな」なんて思わない。
ただ、 その人の音として聴く。
こだわっているのは、 演奏している本人だけだ。
アンプから返ってくる音。 手に伝わる振動。 それが気持ちいいかどうか。
それがすべて。
写真も同じ。
見る側が見ているもの
見る側は、
最新か? 高画素か? AFが何点あるか?
そんなことは、ほとんど見ていない。
見ているのは、
何を見ていたのか。 どこに立っていたのか。 その瞬間、何を感じていたのか。
その人のにおい。
だから僕は思っている。
今持っているカメラで十分。 どんなカメラでも、写真は撮れる。
主役が変わっただけ
これは、 機材を軽視しているわけじゃない。
ただ、 僕の中で主役が機材じゃなくなった。
道具にこだわるのは悪くない。
でもそれは、 表現に集中するための理由であって、 写真が良くなる保証じゃない。
10年前、 街で見た彼らの写真が教えてくれた。
写真は、 揃えた機材じゃなく、 工夫と視点が写る。
そして何より、 写真にはまず、人が写る。
これからの写真の話
最近は、AIも当たり前になってきた。
背景は生成できる。 光も作れる。 世界観だって、一瞬で出せる。
きっとこれから先、 “きれいな写真”は誰でも作れる時代になる。
でも、 ツールが増えるほど、 「何を撮りたいか」がない写真は、 一気に空っぽになる。
AIも最新機材も、 結局は道具だ。
10年前に街で見た外国人フォトグラファーと、 本質は同じ。
違うのは、 DIYの素材がアナログからデジタルに変わっただけ。
USHUNとしてのMESSAGE
あるもので、どう作るか。 どう工夫するか。 どこに自分を立たせるか。
その本質は、 今も、これからも変わらない。
高いカメラじゃなくていい。 最新じゃなくていい。
なぜなら、
写真に写るのは、機材じゃない。 その人の視点と、工夫と、においだから。
これからも僕は、 道具に振り回されず、 工夫しながら、 その人の内側がにじむ写真を撮っていく。
それが、 どんな時代になっても USHUNにしかできない表現だと思っている。