カメラは最新じゃなくていい!
- ushunphoto
- 6月3日
- 読了時間: 4分

写真が変わった日
10年くらい前。
今使っているカメラを買ったばかりの頃の話。
特に目的もなく、ただ街を歩いて、引っかかったものを片っ端から撮ってた。
上手く撮ろうとか、作品にしようとか、そんなことは正直どうでもよかった。
ただ、シャッターを切りたかった。
その当時、今ほどではないけど街には多くの外国人観光客がいた。
特に多かったのはインドやネパール系の人たち。それとヨーロッパから来た人たち。
みんな、カメラを首からぶら下げて歩いてた。
ある時ふと気づいた。
カメラ機材より先に、視点があった
あれ?この人たちのカメラ、全然新しくない。
フィルムカメラだったり、2〜3世代前のデジタルカメラだったり。
当時の自分からすると、正直「それで撮るんだ?」って思うような機材。
でもね——写真が、すごくいい。
いや、「上手い」とかじゃない。熱があるんだ。
立ち止まる場所。シャッターを切るまでの“間”。ファインダーを覗く時間。
「あ、この人、今これを撮りたいんだな」
それが動きだけで分かる。その瞬間、僕の頭の中で何かがひっくり返った。
カメラって、最新じゃなくていいや。
むしろ関係ねーわ。ってね。
それともうひとつ共通点が。
それは工夫だ。
日本人は、(なんでもそうなんだけど、)わりと「表現=機材を揃える」方向に行きがち。ライトを買って、レンズを買って、正解っぽい装備を揃える。
安心はする。でも、そのぶん思考は止まる。
工夫は最高の機材を超える
一方で、彼らは違った。
外国人フォトグラファーは、撮りたい世界を先に決める。
で、それを作るために、身の回りのものを使う。
窓から差し込む光。
路上の反射。
ビニール、布、紙、ガラス。
汚れた壁、割れた床、影。
要するに DIY。「足りないから買う」ではなく「あるもので、どうやるか」なんだ。
何を使うかより、何を見ていたか
ここ、めちゃくちゃ大事。
だって、これ音楽も一緒だから。
例えば、フェンダー風の安いギターであるギタリストがライブをやったとする。
客はそれみて、「安いギターだな」なんて思わない。ただ、そのアーティストの音(表現)として聴く。
こだわってるのは、演者本人だけ。
アンプから返ってくる音。手に伝わる振動。それが気持ちいいかどうか。
フェンダーUSAのヴィンテージモデルで「この音が最高」って言うのも分かる。
でもそれは、演奏するための道具の話であって、音楽そのものじゃないよね。
写真も同じ。
見る側は、最新か?高画素か?AFが何点あるか?そんなこと、ほぼ見てない。
見てるのは、何を見てたのか。
どこに立ってたのか。
その瞬間、何を感じてたのか。
その人のにおい。
だから僕はこう思ってる。
今の古いカメラで十分。
ってかどんなカメラでも撮れる。
それは、機材を軽視してるわけじゃない。僕にとってもう、主役が機材じゃなくなっただけ。道具にこだわるのは悪くない。
でもそれは、表現に集中するための理由であって、写真が良くなる保証じゃない。
10年前、街で見た彼らの写真が教えてくれた。
写真は、揃えた機材じゃなくて、工夫と視点が写る。
そして何より、写真には、まず人が写る。
今も、その感覚は変わってない。
AI時代になっても変わらないもの
そして、これからの写真の話最近はAIも当たり前になってきた。
背景は生成できる。光も作れる。世界観だって、一瞬で出せる。たぶんこれから先、“きれいな写真”は誰でも作れる時代になる。
でも、そこでまた同じことが起きる。
ツールが増えるほど、「何を撮りたいか」がない写真は、一気に空っぽになる。
AIも最新機材も、結局は道具だ。
10年前に街で見た外国人フォトグラファーと同じ。
違うのは、DIYの素材がアナログからデジタルに変わっただけ。
あるものでどう作るか。どう工夫するか。どこに自分を立たせるか。その本質は、何も変わってない。

改めて言う。高いカメラじゃなくていい。
最新じゃなくていい。今持ってるカメラでも十分。
なぜなら、写真に写るのは、機材じゃない。
その人の視点と、工夫と、においだから。
最後に、USHUNとしての言葉にしておく。
写真は「何で撮ったか」じゃない。
「どう見ていたか」だ。
これからも僕は、道具に振り回されず、工夫しながら、その人の内側がにじむ写真を撮っていく。たぶんそれが、どんな時代になっても僕だけが表現できる世界だから。

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